日替わり NAT’s Champloo

音楽やライブ(HM/HRやボカロなど)、旅行など、ごちゃっとした日記

家族の一周忌を迎えた話

一年経って落ち着いたこともあり、この時期に沖縄に滞在していた理由を話しておきたい。まあ、誰かに話すというよりは独り言のようなものである。誰かに話したり、書いたりすることで、気持ちの整理がつくのを期待しての行為だったりする。
 

一年前の話

一年前、弟が亡くなった。詳しくは話せないが、事故のような形で亡くなった。とにかく突然だった。
弟は、私の両親の近くで、嫁と二人、沖縄で住んでいた。最初は行方不明になったという電話を母親から受けた。しばらくして、遺体が見つかったという連絡があった。
そこから慌ただしい一週間が始まった。職場に連絡して、沖縄へ飛び、葬儀、火葬、納骨。気持ちの整理をする暇もあったのか無かったのか、気持ちが定まらないまま終わった。
不思議と、悲しい気持ちに染まることはなかった。淡々と葬儀が順調に進むよう、手伝ったり気を遣ったりした。
ただ、母親や弟の嫁が悲しむ姿を見るのは辛かった。そして、それまで感情を見せなかった父親が葬儀中に肩を震わせて泣いたのが、一番辛かった。
 

その後の話

その後も、仕事や生活、趣味で忙しく、気持ちの整理をする時間はあまり無かった。ただ、何かのきっかけで、ふと弟はもう居ないことに気付いて、寂しい気持ちになることは何度かあった。
弟とは、仲が良かった方だと私は思ってる。ただ、弟は私より社交的な振る舞いができる人だったので、もしかしたら内心快く思ってなかった所はあったかもしれない。でも、それを聞くことはもうできない。
弟は、アニメや漫画が好きな、いわゆるオタクであった。自分はボカロファン・初音ミクファンであるが、それを唯一理解していた家族が弟であった。私がボカロのライブやイベントに行っていることは知っていたし、そういう会話もしていた。そんなボカロを理解する家族を失った寂しさはある。
弟は、両親の近くに住んでいる唯一の兄弟であった。両親からも頼られて、車が運転できない両親のために車を出すこともあったし、家具やテレビのセッティングを頼まれることもあった。高齢な両親に何かあったら連絡できるのが弟という事で、私も弟に頼っている所があった。それを失って、弟を頼りにしてた事をあらためて実感する。
 

一周忌の話

その弟の一周忌のために、私は沖縄へ向かった。コロナ禍という事もあり、家族だけで小さく供養を行った。
お坊さんを呼んで、お経をあげて供養してもらった。供養が終わったあと、ちょっとした法話を頂く。
一周忌の次の年は三回忌。一の次が三なのは不思議だが、葬儀を一回目と数えるので、一周忌の次は三回忌になるのだとか。
故人を亡くした悲しみは、すぐにはどうすることもできない。供養を繰り返すことで、悲しみを乗り越えていく。
四十九日の法要は故人のための供養、一周忌の後の供養は、遺族が主役の供養。
そんなお坊さんの話を聞きながら、弟を亡くした気持ちは、供養を繰り返しながら整理していくしかないのだろうなと思った。
弟の葬儀からの一年はあっという間に過ぎた。弟を亡くしたという実感が、1年経ってようやく感じられたのかもしれない。今はまだ気持ちの整理が足りない気がする。弟を亡くしたという今の状況を見つめて、自分の気持ちを見つめて、そして整理していくしかないのかもしれない。